リクエスト(?)にお応えして、今回は「続行運転」の話をお贈りします。
ある程度、文字から想像出来ると思いますが、”続行運転”とは、数台の電車が連結せずに、連なって走る方法で、江ノ電では、四輪単車時代から行われていた様ですが、その当時、どの様な形態で行われていたのかは、判っていません。
昭和に入り、ボギー単車(100形)が主力になると、乗客の多い時間帯には2〜3台の単車が、数十秒〜1分程度の間隔で続き、単線なので、交換駅で一旦ためて対向車とすれ違わせる、理屈上の3両編成と言った処でしょうか。
またこの時、最後尾の車両には、前面右窓の下に白く塗られた丸いプレートを掲げて、続行の最後である事を知らせていました(江ノ電公式サイトにある、106号の写真を参照して下さい。また、101号と113号(納涼電車)のページには、緑色に塗られた同様の物がありますが、これの意味については不明で、戦後頃から使われていない様です)。
昭和初期には、現在の様な大型バスなど無かったので、夜行列車で藤沢駅までやって来た修学旅行生達を、江ノ島等に運ぶ為、早朝に5〜6台での続行運転も行われたそうで、この時は交換所に対向車を待たせておき、次々と通過させたと言う話を聞いた事があります。
昭和30年代の連接車時代になると、連接車(201Fのみ連結車)1編成と単車1台の組み合わせで行われ、これを”特殊続行運転”と呼んだ様です(連接車2編成での続行は、なかったそうです)。
続行運転は、安全的見地から見ると追突等の危険性があり、昭和26年に改正された地方鉄道法で禁止されましたが、江ノ電は例外取扱許認可を受けて続けていました。しかし、連接車による重連(4両編成)運転が計画され、結局、昭和46年6月に廃止されましたが、その後も「後続車は来ない」と言う意味で、しばらく全車に、白丸のプレートが付けられていた様です。
重連運転が始まってからは、基本的に行われていない様ですが、最後の単車となった107・108号の”さよなら運転”の時に、もしかしたら、続行で行われていた可能性が考えられます。どなたか、「タンコロさよなら運転」の事をご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えて下さい。投稿日 6月30日(火)15時03分 投稿者 黒木 達也 [203.138.255.74] 削除
Y.Takahashiさん>
初めまして、黒木と申します。お待ちしておりました(笑)。ご覧の通り、私は昔話専門ですが、興味がおありでしたら、これからもお付き合い下さい。
本の情報、ありがとうございます。私も早速探してみます。都電の事も書かれているそうですが、昔(戦前頃)の話は載ってますか? <結局それかい!!
都電の150形と170形は、江ノ電に来て、後に301Fと306Fになっています。都電時代の資料や写真を見た事がないので、もし載ってるなら絶対買います。
YUUさんも言われてますが、江ノ電オタクの私にとっても、江ノ電沿線とはうらやましい限りです。私は自宅が職場なので、周りが静かだと時々新幹線の音が聞こえます(笑)。
YUUさん>
沢山のレス、ありがとうございました。
>昭和50年生まれなので、そのころの話や、それ以前の話など聞きたいな〜
私は昭和41年の早生まれなので、丁度10コ上ですね。と言う事は、昭和51年から始まったテレビドラマの「俺たちの朝」や、その後の「江ノ電ブーム」もご存知ない訳ですか・・・よろしい。それならお兄さん(おじさん?)が、色々と教えてしんぜよう!・・・<急に偉そう(笑)
まあ冗談はともかく、気に入って頂けた様なので、定期的に「昔話シリーズ」をお贈りする事にします。文中に解からない事や、興味を引かれた部分があれば、遠慮なく質問して下さい。また、私の話に書いていない部分で、少しでも関係していそうな事をご存知でしたら、ぜひ補足して下さい。「私は、こう思う。」と言う御意見も、お待ちしております。
>500と言えば、昔の〜(中略)〜姿が好きです。
私も全く同感です。特に「江ノ電ブーム」の頃は、スマートなスタイルで、あの特徴的な前照灯を備えた502Fが、一番の人気でした(ブームの話は、またいづれ・・・)。
その頃、小学校の高学年だった私は、鉄道マニアの友人達と、よく江ノ電に乗りに行っていました。その後、最初の1000形が就役した頃までは、江ノ電ファンを続けていましたが、中学生の後半には、鉄道マニアの友人が転校したりして、次第に”江ノ電熱”も冷めてしまい、同時にその頃から、興味の対象がマイコン(当時はそう呼んでたの!)や自動車レース観戦に移っており、いつしか江ノ電の事は気にしなくなっていました。
しかし、それから十数年経った3〜4年前に、突然江ノ電の事が気になり、かつて集めた記念乗車券や資料等を引っ張り出して見ると、当時は漠然と見ていた本等に、300形が単車の改造だった事や、111号以降の単車が存在していた事等、昔の事が書かれていて、一気に”熱”が再燃してしまいました。
そこで、新たな本でも探そうと藤沢駅へ行った処、最初にホームに入って来たのは、これまで見たことがない車両で、新型車にしては古めかしかったので、一瞬「他社からの譲受車が来ていたのか。」と思いましたが、車番を読むと「502」とあり、あまりの変貌に、一瞬全身の力が抜ける程のショックを受けました(小学生の頃憧れていた女の子と、同窓会で会ったら”オバサン”になってたと言う感じ?(笑))。
なんか、私自身の昔話になってしまいましたが、噂されている500形の引退後は、出来れば両車共(特に502Fは)昔の姿に戻し、107号と同じ公園にでも展示保存されたらと、望んでいます。
ところで、500形のクロスシートは、写真を見たのですか?私は、資料の文章と父親の話だけで、写真も見た事が無いので、もしそうなら本の名前等を教えて下さい。投稿日 6月30日(火)15時00分 投稿者 黒木 達也 [203.138.255.74] 削除
◆黒木さん
>この手の昔話、お好きですか?
結構好きですね〜(^^;
>色々あって、何から書いて良い物か判らないので、何か興味がある物をリクエストして下さい。
>一部を挙げてみますと、「四輪単車の謎」、「キャンプカー」、「納涼電車」、少々信じられない「電動貨車2号の話」、「特殊続行運転」、「ポール時代の苦労話」、「306Fの複雑な経緯」等、他にもまだ沢山ありますが、
続行運転って私は知らないんですよ。
一度見てみたかったな〜
>それでも、よろしいですか?
結構です。
みんな聞きたいですね(笑)
>YUUさんと私の文通コーナーみたいに、なってしまいましたね(苦笑)
そうですね(^^;;;
もっと書き込み増えるといいのですが・・・
>発電ブレーキ
私も、そういう事は詳しくないです。
どなたか教えて下さい(私にも)
>500形の自動放送装置
私は、500に自動放送装置があったのは初耳です。
クロスシートは本で見たことありますが・・・
それにしても観光案内もあったんですか!
今は駅名だけですもんね(2000以降)
500と言えば、昔の正面曲面ガラス、両開きドア、裾絞り込みの姿が好きです。
今の正面5枚窓って言うのはちょっと・・・(^^;;
それでは、また昔話などよろしくお願いしますね!
私は、昭和50年生まれなので、そのころの話や、それ以前の話など聞きたいな〜なんて(笑)
500型のサボですが、まだ501でしか見てないです。
◆Y.Takahashiさん
初めまして、YUUと申します。
>江ノ電はいつも横目でにらみながら、
>なかなか乗る機会はありません(仕事場の横のため)。
江ノ電の沿線で仕事ってなんかいいですね。
私は神奈川臨海鉄道の沿線なんです(笑)<工場の中
だから、見るのはタンク車ばっかり(^^;;
>江ノ電の記事は都交通局に続いてボリュームたっぷりに書いてありました。
>お勧めですよ。是非ご一読を。
一度読んでみたいですね。
今度本屋にいって見てみますね!投稿日 6月27日(土)11時12分 投稿者 YUU [proxy01dc.so-net.ne.jp] 削除
皆様はじめまして、Y.Takahashiと申します。 江ノ電はいつも横目でにらみながら、 なかなか乗る機会はありません(仕事場の横のため)。 本屋を覗いていると今尾恵介さんの新著で 「地図で歩く路面電車の街」(けやき出版)という本が出されていました。 名前の通りたっぷり地図も入っていてなかなかおいしい本でした。 江ノ電の記事は都交通局に続いてボリュームたっぷりに書いてありました。 お勧めですよ。是非ご一読を。投稿日 6月26日(金)02時42分 投稿者 Y.Takahashi [d02-61.join-am.ne.jp] 削除
もう1つ調子に乗って、昔話シリーズ第2弾・「500形の自動放送装置」の話をお贈りします。
昭和31〜32年に就役した500形には、当初「テープレコーダー自動放送装置」が搭載されていました。これは、いわゆるオープンリール式のテープで、当初は、駅の手前でスイッチを入れ、案内が終わった所で切ると言う、ごく普通のテープレコーダーだったそうです。
しかし、スイッチを入れたまま集札作業等をしていると、次の駅の案内が始まってしまうので、2〜3年後に、自動的に停止する様に改良されました。
それでもまだ欠点があり、車中から見える名所や、周辺の観光地の案内まで収録していた為、ボタンを押し忘れるとタイミングが合わず、最悪なのは、次の駅に到着する直前に、とっくに通過した名所案内が流れてしまう事も、少なくなかったそうです。
やがて、観光案内は消去されて、駅名のみになりましたが、終点で巻戻す必要があったり、いちいちボタンを押すのが面倒臭いと、次第に使われなくなり、結局、昭和42年の「クロスシート撤去」と同じ頃に、取り外された様です。
また、父親は「単車以外には、(300形にも)全部付いていたと思う。」と言っているのですが、その様な記述をしている資料が一切無いので、記憶違いかも知れません(もう歳なので・・・)。
約30年経った現在、2000形以降にも、似た様な物が搭載されましたが、技術も進んで、当時の様な問題は無いのでしょう。
例によって、聞いた話と資料を分析した私説なので、どこまで事実なのか判りませんが、なにかの参考になれば幸いです。どうぞ御意見・御感想・リクエスト・苦情・忠告・訂正等、何でも構いませんので、リアクションして下さい。投稿日 6月25日(木)20時18分 投稿者 黒木 達也 [203.138.255.76] 削除
1501F以降の車両には、「発電ブレーキ」が搭載されたと言う事ですが、これは、モーターを発電機にして減速させる物ですよね。その際、発電された電力は、抵抗器で熱に変換して放出するのですか?それとも架線に戻せるのでしょうか(これは「回生ブレーキ」ですよね?)。また、それ以前の車両にも「電気制動」と言うのがありますよね?
私はいわゆる”鉄道ファン”ではなく、偏執的な江ノ電オタクなので、鉄道雑誌をあまり読んでいません(わずかな記事の為に毎月購読出来る程、経済的余裕がないので・・・)。その為、鉄道の専門用語をあまり知らず、「発電ブレーキ」、「回生ブレーキ」、「電気制動」の違いが良く解かりません。どうか”鉄”の方、ご教示下さい。
YUUさん>
なんか、最近の「Sunline Cafe」は、YUUさんと私の文通コーナーみたいに、なってしまいましたね(苦笑)。我々の投稿が、もっと大勢の人に参加してもらえる、起爆剤になると良いですね(逆に入れないのかな?)。投稿日 6月25日(木)20時16分 投稿者 黒木 達也 [203.138.255.76] 削除
前回書いた長谷駅の件で、最後に「ポイント部分にホームを延長した」と書きましたが、改めて車窓ビデオや当時の写真(肝心のポイントは写っていないが・・・)を見た処、鎌倉側にも踏切りがあり、その脇にポイントの跡地らしきスペースがあったので、どうやらホームの延長は無かった様です。きちんと調べず、適当な事を書いて申し訳ありませんでした。
YUUさん>
模型の件は、もう、気になさらないで下さい。無くなったのは残念ですが・・・
>大変興味深い話です。
いえいえ、上記の通り、いいかげんな文章なので恐縮です。この手の昔話、お好きですか?
ここ数年、図書館や古本屋を巡っては、江ノ電関連の本や雑誌を探し、例の資料集に書きためて、昔の事を分析するのが趣味になっています。本来なら、自分のサイトを持って、見て頂きたいのですが、諸々の事情がクリア出来ないので、文章だけでも見て頂き、その上、返礼まで頂戴して嬉しく思っています(ネット中毒になりそう・・・(笑))。
>また何かありましたらお願いしますね(^^)
色々あって、何から書いて良い物か判らないので、何か興味がある物をリクエストして下さい。
一部を挙げてみますと、「四輪単車の謎」、「キャンプカー」、「納涼電車」、少々信じられない「電動貨車2号の話」、「特殊続行運転」、「ポール時代の苦労話」、「306Fの複雑な経緯」等、他にもまだ沢山ありますが、いづれも、どこまで事実なのか判らない話ばかりです。それでも、よろしいですか?
追伸:今月は忙しくて、やっと来れました。500形のサボ、まだ見に行かれません(泣)。暇な日には雨が降るし、晴れていれば時間が無いし、最悪な状態です(普段の行いが、余程悪いのでしょう)。投稿日 6月25日(木)20時15分 投稿者 黒木 達也 [203.138.255.76] 削除
最近見ないです〜
しまったのかな?
長谷駅の3番線>
大変興味深い話です。
また何かありましたらお願いしますね(^^)投稿日 6月21日(日)17時44分 投稿者 YUU [proxy01be.so-net.ne.jp] 削除
YUUさん>
模型の件、ありがとうございました。お手数おかけしまして、申し訳ありません(ちょっと、気になっていた物で・・・)。
それと、500形のサボ、変ったんですか。文章では、よく解からないし(笑)大変興味深いので、近々見に行こうと思います。なかなか予定が立てられないので、いつになるか判りませんが、もし私を見かけたら、気軽に声をかけて下さい。前にも書きましたが、ヒゲ面(もみ上げから、鼻下とあごと全部つながっています)の大男(身長183cm、体重100kg)で、メガネを掛けています。また、黒い皮製のカメラバッグ(ショルダーバック風)を持っていると思います。一見恐そうに見えるかも知れませんが、見た目より優しい人間です(自分で言うのも何ですが・・・)。
少々前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
長谷駅の側線は、開通当初からあった様で、少なくとも大正時代の写真を確認しています。線路は、鎌倉側で本線(2番線)とつながっており、当時の使用方法は不明ですが、その後、昭和初期に登場した[納涼電車]が、主に鎌倉(旧・小町)〜長谷間で運転されていたらしく、その折返しに使っていたと考えられます。戦後は、多客時の続行運転用車両を留置しており、当時江ノ電の車掌だった父親の話では、辞めた時(昭和39年)には、まだあったそうです。
私の想像では、昭和46年6月に続行運転を廃止して、重連運転が始まっているので、留置の必要が無くなったのと、重連対策で、ポイント部分にホームを延長した為に、廃止された物と考えています(その頃には、私も行っているハズですが、記憶にあるのは、後の空き地だけです)。
以上、僭越ながら参考にして頂こうと思い、書いてみましたが、あくまで聞いた話と、集めた資料から判断した私説なので、本当の処は判っていません。事実をご存知の方がいらっしゃいましたら、訂正して下さい。投稿日 6月8日(月)19時00分 投稿者 黒木 達也 [203.138.255.102] 削除
黒木さん>
電車の車内からの確認ですが、
下に書かれている模型は全部あるようです。
形式などは確認できませんでしたが・・・投稿日 6月8日(月)16時59分 投稿者 YUU [proxy01dl.so-net.ne.jp] 削除
今日の帰りに乗った501F。
サボが変わってました。
以前からある、「藤沢−鎌倉」のサボではなく
100型などがつけていた縦長のサボのデザインを使った、
旧式の物でした。
ただ、サボ受けが横長なので、「藤澤」「鎌倉」の字も横書きになってました。
ちょっと、文章では、伝えにくいですが、わかりました?(^^;)
黒木さん>
江ノ島駅の模型ですが、今度確認してみます。
500型重連制約の件、ありがとうございましたm(_ _)m
それから、本に載っている長谷駅ですが、私は長谷に側線があるのは、知りませんでした。
そういう意味で、あの値段でも納得(笑)投稿日 6月3日(水)19時14分 投稿者 YUU [proxy01bc.so-net.ne.jp] 削除